【なぜ私は〈私〉であり、〈あなた〉ではないのか】

宿泊されているお客様との間で、こんな話が出た。

お客様はご自身が高齢になってきて、自分を見つめ直した時にこのような問いが出てきたそう。
他者と違う〈自分〉をどのようにしてこの世に遺せばよいかを考え、ある時から絵を描くようになったそうです。
なるほど絵は、他の誰でもない〈今〉の自分が書いたものとして確かに遺せるものですね。

同じような問いを哲学者永井均さんが打ち立てています。

ひとつの答えとして確か、
「他人との対比が持ち込まれれば〈私〉であり、過去や未来との対比が持ち込まれれば〈今〉ということ」
ということを仰っていました。
(「転校生とブラックジャック永井均、著)

つまり、人の存在は関係性の上に成り立っている。(逆に関係性がなければ私は〈私〉として存在しないのだろうか?という疑問が残る)

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実はこの問いは、3歳の頃から私がずっと疑問に思い、誰に聞いても結局答えがわからなかった問いです。

昨日そんな話になって、久しぶりにその疑問を思い出しました。

大人になるのは、お金を稼いだり、自分の思い一つで旅行にでかけたり、ものを買ったりと、様々なことができるようになることだけど、いろんなものに流されているうちに、純粋な、元ある疑問を忘れたり、そのままにしておきがちです。
これは自分自身の〈魂〉にとって不誠実な態度かもしれないなぁと思いました。

最初の問い
【なぜ私は〈私〉であり、〈あなたではないのか〉】
に一言で答えられる明確な回答は、今なお無いそうです。(いや、永井均先生に直接連絡してみればもしかしたらスッキリわかるのかもしれません)

例えば、もしここに宗教的な〈神〉とか〈魂〉とかって話を持ち込むと、簡単にわかるのかもしれない。けれど、まずは哲学の力で〈解〉に挑戦してみたい気もする。

ひとまず、疑問を疑問のままにせず、魂に誠実に生きることが、自分が自分であることの肯定になり、それをベースに他者との良好な関係が築けたり、過去や未来を推し量ったりすることに繋がるのだろうと思います。

(※写真は全く関係ない萩椿のシュークリームと萩焼

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