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コミュニケーションの枠について

最近、コミュニケーションの枠について考えている。

私は大学2,3年生頃、境界性パーソナリティ障害っぽいところがあった。
近づきすぎる依存と離れすぎる疎外感を行ったり来たり、全か無かの価値判断。
毎日がジェットコースターのようで安定しなかった。
そんな時、精神科医は努めて接し方の「枠」=「ルールづくり」をしているようだった。
今ではこの枠づくり、枠を超えないことの大切さがよくわかる。

一方でその枠をちょっと超えて、相手の心を震わせることが、コミュニケーションの醍醐味ではないかと相方に指摘された。
確かに、例えば緊張や不安で相手に対して心に壁を作ってる時、それを溶かすような一言にグッと来たり、恋に落ちたり、ということはある気がする。

そこで、枠の定義は1つではないんじゃないか?と思い当たった。
無理やり言葉にしてみると、枠には、心理的な枠(心の壁)と社会的な枠(ルール)があるように思う。
心の壁を作ったり溶かしたり揺らしたりするコミュニケーションは楽しい。
ルールは壊すとストレスを産んだり、それまで秩序立っていたものが急に不安定になる危険がある気がする。

最近私は「社会的な枠」の方の意味で、仕事をする上で枠というか、境界線というのがよく見える(仕事上の限界、とも言える)けれど、その中でこそできることがあるのではないか、と考えていたが、それは先ほど述べたような、心理的な枠と社会的な枠に場合分けしてみたところ、不十分であることに気づいた。

つまり、私が本当に言いたかったのは、「社会的な枠=ルール」はめったに超えることができないので自分の限界を感じることはあるけれど、その中を精一杯生きると結果的に枠外の事にまで力を及ぼせることがある、のような気がする。
さらに言えば、社会的な枠すら、壊した方が良い場合も(多分に)あるだろうと思う。
うまい事例に出くわしていないか、察知できていないかで言葉にはできないけれど。


自分は物事を秩序立てて考えることがどうも弱い。
その場の感覚、フィーリングで刹那的に生きてるように思う。
毎日の思考の蓄積をただのゴミにするには惜しい。もっと考えを深化させる癖を付けたいものです。