普通の幸せってなんだよって思う

普通の結婚、
普通の出産、
普通の子育て、
普通の親戚づきあい、
普通の毎日の料理、生活、
そして、普通のお葬式…


どれも私にとっては普通じゃない。
望んでもない。いや、分からない。
世界の「普通」という圧力に、1人で潰れそうになっている。
自滅だ。


一方では未だスポーツの最前線で戦い、華々しい成果を収めている友人がいて、
一方では始めた事業が軌道に乗り始めている友人がいて、
一方では家庭を築き始めている友人がいて、
どれも輝いているよ。
カッコいいよ。


私はどこにも属さず、
自分の担当する仕事に対する苦手意識が消えないまま、
4年間働いた会社を去ろうとしている。
結婚する、という建前で。
すごく嫌だ。
望んでないよ。こんな形。
何者にもならずに終わってしまった。
私の社会人としての第一歩。
これからどうすればいいのか全く分からない。

体操がもっとできる人間だったらよかったのに。
もっとテンションが高くてなんでも身体表現に変えられる人間だったらよかったのに。

その分野は好き、ではあったけど、得意にはなれなかった。
そしてどんどん閉じていく。
苦手が怖くて閉じていく。

今は踏ん張って頑張る時期?
いや、何をさ?

カッコいい友人たちに共通するのは、
それを全力で楽しんでいること。

私も心が赴く方へ、
楽しいと思えることを全力でやったらいい。

そんな表面的なことは言えるけど、
本当にどうしたら良いか分からないんだ。

教員免許をとり直そう、という気持ちも揺らいでいてね。
教師になれる感じがしなくてね。
結局苦手と向き合うことになるだろうから。

さあ、時間は過ぎる。
困ったな。

最近。

映画「海賊と呼ばれた男」を観た。
堀江貴文さんの「我が闘争」をチラッと立ち読んだ。

共通すること。
未来を見据える先見性。
ヴィジョンを語る熱い心。
何が何でもやり抜く、という強い意志。
そのためにはどんな苦労も厭わない、という爆発的な行動力。



翻って、最近の自分はどうも
保守的になっている気がする。
結婚の不安とか、
次の仕事が見つかるかの不安とか、
お金の心配とか、そんなのばかりな気がする。
学生時代から、とにかく行動してきたじゃないか。
打開したい。打開したい。打開したい。

「この世界の片隅に」を観てきた。

この世界の片隅に」を観てきた。
良かった。

主人公がが明るく何気無く言った「何でも使うて暮らし続けるのがうちらの戦いじゃ」という言葉…。
物質的豊かさに恵まれた私は、毎日の生活に転がっている小さな幸せを見過ごしていないだろうか、とハッとした。

日常のちょっとした喜びを大切にかみしめること。
哀しい気持ちを慈しむこと。
空気を吸って、吐いて、身近な世界に目を向ける。
遠い世界に思いをはせる。

そういう1つ1つの丁寧な生き方が、病気なんか関係なく、豊かな人生を送る秘訣かもな。

生きるモチベーション?幸せ?

今をときめく大学生の後輩が
①あなたの生きるモチベーションは何か
②あなたにとっての幸せとは
の2つを知りたい、とFacebookに投稿していた。

さて自分を振り返るとどうか。何とコメントできるだろうか。

私も大学生の頃、病気だし中身も空っぽだしで大いに悩んだ。
自分に向き合う時間が長い学生時代は、
繊細な心、繊細な生への意識がむき出しになる時期だと思う。
彼女はまさに今、そこを歩いているんだな。
心の純度の高さが眩しい。

私は、といえば、
社会に出て4年目だが、今もまだグラグラだ。

でも働くようになって、社会との接点ができたことによって学生時代よりは多少グラグラは緩和されたように思う。
ああ、外の世界に出るって面白いな。
自分にもまだ可能性が開かれてるな、と。

正直まだ病気で思うようにいかないことは多い。
そのせいで責任ある仕事は減るし、もどかしい気持ちでいっぱいだけど、
自分にもまだまだ可能性があるはずだと思う。
山田ズーニーさんが何かの本で言っていた「いつか、もっと大きくなって」っていう気持ちがある。
病気だから余計に伸びしろがあるよ絶対。と思う。

私は子どものスクールをメインで担当しているのだけど、
心に火がついたときの彼らの爆発はすごい。
まさに生きている…!!と感じる。
だから、私自身の可能性をぶつけて、子どもたちのパワーを引き出したい。
そうやって年齢も性別も関係なく、お互いを磨き上げるのが人生の面白さじゃないかなー。
私のモチベーションかなあと思う。


とか言って実際は
これでいいのか?
この程度か?
こんな私で生きてる価値あるのか?
という疑問の連続だけどね。


明日も頑張ろう。

ダンスコンテスト鑑賞

たまにダンスの発表会とかコンテストとかを見に行きます。

自分は全く踊れないんだけど、エネルギー全開の踊りや、表現豊かな作品や、これが同じ人間のパフォーマンスなのか!?と思えるような素晴らしい技術を見ると、内からふつふつとパワーが湧いてくる。負けてられん、と思う。

今日も最高でした。

2年前の自分が2年ぶりに「おとなの進路教室」を読んだ時の話


2014.12.2の記録、書き起こし。

朝から二年ぶりに山田ズーニーさんのおとなの進路教室。を、読んでみた。
何度も書いてるけどこの人の、心にすっと突き刺さってくる感じがだいすき。

私は未だ何者にもなれていない焦燥感を覚える毎日を送っているけれど、4年目と5年目の大学生時代はもっと切実だったように思う。
ズーニーさんの文章にもある「いつかより強くなって…」ってすごくもがいてた。

でも、「いつかより強くなって…という視線は、その真の課題に向き合う億劫さから、目をそらすのに、使われやすい」。
そして、「より強いアイテムで身を固めようとするとき、寂しいのかもしれない。その寂しさを満たすのは、そんな大きくたくさんのものでなく、たった一人、自分を理解して欲しい人と、心から通じ合う時間かもしれない」。

けっこう難しいな。
受け入れてほしいことを表現するのって怖い。
人間は人間とかかわらなきゃ生きていけないけど、
自分の内面をむき出してぶつかるのは本当に勇気がいることだなぁって思う。

それが目的じゃなくても、人を欲していながら人にぶつかるのが怖いから、私の問題は複雑になりやすいし、混沌としやすい。

そんなことを考えながら、これから仕事です。

今日から私は総務課ではなく、体操指導課の人間として働くことになります。
何が変わるわけじゃないけど身が引き締まるね。

まずは今の自分で勝負。もがいてぶつかれ。

雑談より

‪今日上司が、
人間は歴史を飛ばして進むことができない。
例えば、アフリカの人たちが日本に来ていきなり日本の考え方や働き方はできない。
韓国の最近のデモの様子は過去の日本の安保闘争を見ているようだ。
それぞれある段階を経過して進歩なり進化なりするのではないか。
というような話をしていて、なるほど、そんなものの見方もあるのか、と思った。


そもそも文化が違うとか、
突っ込もうと思えば突っ込めるところはいっぱいあるような考え方かもしれないけれど、
そういう仮説や考えを「持つ」。そして「伝える」「表明する」から意見や見解は深まるものだろうと思うし、そこは私の弱いとこでもあるから余計に「なるほどな」と思った。