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近況

最近はずうっと調子が良かったのですが、

まず一昨日、よく眠れなくて3時半ごろ起きてしまったりしたのが原因か、

久しぶりに呼吸をするのも辛いほどの絶不調でした。

 

元々喋るのそんなに得意じゃありませんが 、

調子悪いと声を出すのもすごくエネルギーがいるんです。

こうやって文字を打つ方がうん十倍楽なんです。あまり理解されませんが…

 

 

そして昨日も寝られず2時半起床。

眠れないんだけど頭も回らないってのは辛いものですね。

 

そして今日は雨と体調不良を強行突破してバイクで鳥取の大山に行こうとした私を見かねて彼が時間を無理やり作って一緒に旅行してくれていて今はゲストハウスで夜を明かそうとしています。

 

あーでもこうやって人に恵まれて過ごせて幸せ。

明日は少しだけ大山散策します。

楽しみです。

あと寝られるかだけです。

トラゾドン飲めば寝られる説あるけどもう少し我慢して薬無くして平気な体を手に入れたい。。

 

おやすみなさい。

萩生活も1週間。

 

早いもので 、萩に越してきてから1週間が経ちました。

 

最近の日課は10km run。

しばらく練習してなかったせいで全然足動かないし、呼吸も苦しいけれど、

またフルマラソン、いずれは萩往還マラニック出場を目指して練習あるのみ!

 

今のコースは浜崎町からスタートして、

菊ケ浜→萩城跡→南下して玉江駅萩駅方面へ→萩駅から県道64号を北上→浜崎港→住吉神社

で、ちょうど10km。

 

 今日もまだ桜が綺麗でワクワク楽しかったです。

 

というわけで、走りながら萩の桜名所だと思った場所をピックアップ。

 

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住吉神社

 

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菊屋横丁

 

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松門神社(松陰神社の隣)

 

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萩城跡

 

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雁島橋から見た浜崎港

 

萩に移住しました

3/31から4/5にかけて、引っ越しのため、人生初のロングツーリングをしました。

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途中愛知の実家、富山、滋賀に寄りつつ、

 茨城県のつくばから山口県の萩まで実に1000km強!

 

私の愛車にバリオスは、タンクが小さいので高速に乗るとすぐ給油しなくちゃいけないのが結構大変でしたが、そのぶんちょっとした休憩も挟めて、比較的楽に移動できたと思います。

(ただし、初日の東名高速の移動は大雨で震えまくって辛かった)

 

 

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会社から出発前

 

 

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愛知の豊川稲荷

 

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石川県の近江町市場、近江町食堂の海鮮丼

 

 

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手動で開け閉めするいしかわ鉄道

 

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五箇山世界遺産、菅沼集落

 

 

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関ヶ原跡地

 

 

 

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彦根城

 

 

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萩到着!

 

体操、おもしろい!

久しぶりに親子体操に入会してくれた子がいて、
今日から正式にレッスンでした。
というわけで、ありがたいことに、下は3歳児、上は60代の方までの体操指導に携わることができています。

それぞれの学年で、
・気をつけること
・声かけ
・目標とすること
などが全く違い、試行錯誤の連続で、これがまたとても面白いです。

例えば今日の例。
親子(3歳児)は、技術よりも遊びの中にいかにヒントが散りばめられるか。
幼児は、易しい言葉、自信の持てる難易度、枠を決めてあげること。
小学3、4年生は、意外なことに点数化と単純なゲーム性で集中力が上がる。
面白い、面白い、面白い!

技ができるようになることはもちろん大事だけど、
大切にしたいのは、
ワクワクすること、
夢中になれること、
チャレンジしようとする気持ち。

1人のチャレンジは本人にとっての勇気になるだけでなく、
それを見た人の胸にも、携わる私の胸にも、小さな火を灯す。

この感覚がすごく好き。
体操は奥深い。

2016年の1年間はほとんどずっと体調が悪くて、そんな中、気力を奮い立たせなきゃいけない体操のレッスンが苦痛でしんどくて途方に暮れていましたが、
最近は体調が良くて、指導が本当に楽しいです。

支えてくれるみなさんに感謝。

コミュニケーションの枠について

最近、コミュニケーションの枠について考えている。

私は大学2,3年生頃、境界性パーソナリティ障害っぽいところがあった。
近づきすぎる依存と離れすぎる疎外感を行ったり来たり、全か無かの価値判断。
毎日がジェットコースターのようで安定しなかった。
そんな時、精神科医は努めて接し方の「枠」=「ルールづくり」をしているようだった。
今ではこの枠づくり、枠を超えないことの大切さがよくわかる。

一方でその枠をちょっと超えて、相手の心を震わせることが、コミュニケーションの醍醐味ではないかと相方に指摘された。
確かに、例えば緊張や不安で相手に対して心に壁を作ってる時、それを溶かすような一言にグッと来たり、恋に落ちたり、ということはある気がする。

そこで、枠の定義は1つではないんじゃないか?と思い当たった。
無理やり言葉にしてみると、枠には、心理的な枠(心の壁)と社会的な枠(ルール)があるように思う。
心の壁を作ったり溶かしたり揺らしたりするコミュニケーションは楽しい。
ルールは壊すとストレスを産んだり、それまで秩序立っていたものが急に不安定になる危険がある気がする。

最近私は「社会的な枠」の方の意味で、仕事をする上で枠というか、境界線というのがよく見える(仕事上の限界、とも言える)けれど、その中でこそできることがあるのではないか、と考えていたが、それは先ほど述べたような、心理的な枠と社会的な枠に場合分けしてみたところ、不十分であることに気づいた。

つまり、私が本当に言いたかったのは、「社会的な枠=ルール」はめったに超えることができないので自分の限界を感じることはあるけれど、その中を精一杯生きると結果的に枠外の事にまで力を及ぼせることがある、のような気がする。
さらに言えば、社会的な枠すら、壊した方が良い場合も(多分に)あるだろうと思う。
うまい事例に出くわしていないか、察知できていないかで言葉にはできないけれど。


自分は物事を秩序立てて考えることがどうも弱い。
その場の感覚、フィーリングで刹那的に生きてるように思う。
毎日の思考の蓄積をただのゴミにするには惜しい。もっと考えを深化させる癖を付けたいものです。

ラスコー展とうさまるカフェ

今日は友達と一緒に朝から国立博物館で開催されているラスコー展に行ってきました。
最初友達から誘われた時は、「ラスコーさんってどこのどなただっけ?」と思いましたが、ああ、社会でそういえば習った、壁画のあるラスコー洞窟のラスコーでした。

朝いちの9時から出かけたのですが日曜ということもあってぎゅうぎゅう詰めの大賑わいでした。

男性は狩猟、女性は衣服づくりやアクセサリーづくりをし、ファッションに気をつかう。
そして、絵を描き、音楽を奏でるクロマニョン人
なんとなく今と共通する男女の特性や芸術を求める心があって、
人間が生きる上での心地よいあり方みたいなものがあるのかな、と思いました。

遠い人類の祖先や子孫に思いをはせる経験はなかなか楽しかったです。


続いて、友達の強い要望のもと、うさまるカフェに行ってきました。

こちらも大盛況。

なんかあれが可愛くてハマる、という感覚がいまいちつかみきれなかったのですが(^^;)自分の中の新しいジャンルを開拓するきっかけになりました。

多分私がジブリ好きだったりオカザえもんを可愛いと思う感覚に近いんだと思う…。

今朝の朝日新聞に働き方に関する記事。

(男も育てる)育休・時短でも昇進の道 働き方を効率重視に・会社も両立支援
http://www.asahi.com/articles/DA3S12760620.html

>>初めての育休取得の後は、みんなと一緒にキャリアアップできないかもしれないという不安と孤独感が強く、昇進は半ば諦めていた。でも、いまは違う。「みんなと一緒じゃなくていいと思えるかどうか。女性がずっと抱えてきた葛藤を、男性も考えざるをえない時代になったのではないでしょうか」<<


最近の憂鬱感に対して、今朝から頭を巡っているのは
出来ない理由を嘆くんじゃなくて、
自分にできることは何か、
自分にできるやり方は何か、
人に助けてもらうにはどうすれば良いかを考えたほうが幸せだよなあ、ということ。
「普通」の呪縛に縛られず、自分の幸せを見つけたい。
仕事も、家庭も、含めて。